去年の秋、友人の結婚式の二次会でのこと。
入口に立った男性が、グレーのセットアップを着ていた。上下同じ生地、同じ色。ぴしっとしていて、確かに整っている。
でも、隣にいた友人が耳打ちしてきた。
「あの人、式場のスタッフさん?」
違った。招待客だった。
セットアップの怖さって、まさにそこなんだよね。上下を揃えるという行為は、制服に一歩近づく行為でもあるから。
上下同色を選んだ時点で、カジュアルからは遠ざかる
セットアップの魅力は、迷わなくていいこと。上下がすでに合っているから、組み合わせを考えなくていい。
その手軽さと引き換えに、着る人は情報量を失う。
同じ生地が体を上から下まで覆うと、視線が止まる場所がなくなる。区切りのない一本の柱。だから制服に見える。
カジュアルにしたいなら、どこかで揃えるのをやめる
これ、矛盾しているように聞こえるかもしれない。
上下セットで買っておいて、揃えて着ないの。片方だけ使って、もう片方は別のものと合わせる。
ジャケットに、別のパンツ。パンツに、Tシャツやニット。これでセットアップは二倍以上に働く。
どうしても上下で着たい日は、インナーで壊す。白いシャツを合わせた瞬間に完全な礼装に寄るから、そこを崩す。
インナーを一段カジュアルに落とす
グレーのセットアップに、白いTシャツ。これだけでスタッフには見えなくなる。
黒の薄手ニットでもいい。バンドカラーのシャツでもいい。襟のあるシャツにネクタイなしの状態が、いちばん中途半端に見えるの。仕事帰りみたいで。
足元も同じ。革靴を白いレザースニーカーに替えると、一気に休日の顔になる。
上下を揃えたぶん、他の場所で緩める。この引き算がないと、カジュアルにはならない。
素材が硬いと、何を合わせても仕事着に戻る
カジュアルセットアップと書いてあっても、生地がスーツと同じものだと意味がない。
てらてら光るポリエステルは、避けたほうが安全
安いセットアップに多いのが、表面が滑らかで光を返す生地。
売り場では綺麗に見える。外に出ると、太陽の下で肩と背中がぎらつく。写真に撮ると、そこだけ質感が浮く。
選ぶなら、表情のある素材。麻が混ざったもの、綿の混紡、少し起毛したもの。触ったときに指に引っかかる感じがあるもの。
その引っかかりが、カジュアルさの正体だと思っている。
肩パッドが入っていたら、それは違う棚の服
試着するとき、肩を触ってみて。中に硬い芯が入っているかどうか。
がっちり形が作られたジャケットは、どんなに柔らかい色でも仕事の空気を運んでくる。
カジュアルに着たいなら、肩の中身が薄いもの。畳んでも復元するくらい柔らかいもの。
着たときに肩が体に沿っていて、腕を動かしても突っ張らない。この感覚を確かめてから買ってほしい。
色を選び間違えると、年齢が五歳上がる
セットアップの色は、面積が大きいぶん影響が強い。上半身も下半身も同じ色になるから、失敗したときの被害が全身に及ぶ。
チャコールグレーは、若い人ほど老ける
無難だと思われている色。実際、落ち着いて見える。
落ち着きすぎるの。二十代でチャコールのセットアップを着ると、顔だけ若くて服が先に年を取る。
この色を選ぶなら、インナーとスニーカーで思いきり明るくして。バランスを取らないと沈む。
ベージュとオリーブが、カジュアルには効く
明るいベージュのセットアップは、それだけで休日の顔になる。スーツにはあまり使われない色だから、仕事の記憶を呼ばない。
オリーブも同じ。緑と茶の中間にある濁った色は、肌の色を選ばずに馴染む。
どちらも、上下で着ても制服に見えにくい。同じ色を面で使っても、柔らかさが残るから。
ただし、色が明るいぶん、シワと汚れは目立つ。手入れの覚悟はセットで。
丈が合っていないセットアップは、全部が台無しになる
セットで買うと、上下のどちらかが体に合っていないことがある。同じサイズ表記でも、人によって合う場所が違うから。
ジャケットの丈は、お尻が半分見える位置
長すぎると重心が落ちて、脚が短く見える。短すぎると子どもっぽさが出る。
腕を下ろして、手のひらの真ん中あたりに裾がくるくらい。この位置が、ほとんどの体型で成立する。
カジュアルなら、少し短めでもいい。ただし、ベルトが完全に見えるところまで短いのは行きすぎ。
パンツの裾は、靴に触れるか触れないか
くるぶしが見える丈が流行して久しいけれど、あれは季節と場所を選ぶ。
秋冬にくるぶしを出すと、寒そうに見えるだけじゃなくて、全体が寸足らずに見える。
靴の甲に軽く触れる長さ。もしくは、触れる手前で止まる長さ。裾直しは千円ちょっとでできるのに、やらない人が多すぎる。
セットアップこそ、直しに出す価値がある。上下ともに合っていると、値段の三倍に見えるから。
セットアップで失敗した男性を、三人見てきた
身近で実際に起きたことを書いておく。全員、悪気はなかった。
一人目、光る紺の上下で夏の海に来た人
数年前の夏、海沿いのバーベキューに、紺のセットアップで現れた男性がいた。
汗をかいて、生地が背中に貼りついて、光を跳ね返していた。周りは半袖と短パン。
本人も途中で気づいたらしく、ジャケットを脱いで椅子にかけた。そのあと、シャツの背中に汗の跡が広がっていくのが見えた。
気の毒だった。場所を読むって、服選びの半分くらいを占めるんだと思う。
二人目、上だけ小さくて下だけ大きかった人
セットで買ったのに、体型に合っていなかった例。
彼は肩幅が広くて脚が細い。ジャケットは肩がぱつぱつで、腕を上げると背中が突っ張る。パンツは腰まわりが余って、ベルトで無理やり締めていた。
座ったとき、パンツの前側にくしゃっとした横線が入った。
セットで揃えることに意味を感じすぎると、こうなる。上下を別サイズで買える店を探すか、直しに出すか。どちらかしかない。
三人目、完璧だったのに靴で崩れた人
いちばんもったいなかったのがこの人。
オリーブのセットアップに、白いTシャツ。丈も肩も合っていて、素材も柔らかい。ここまでは完璧だった。
足元が、汚れた白いスニーカーだったの。つま先のゴムが灰色で、かかとが潰れていた。
視線がそこで止まった。上半身の完成度が高いぶん、落差が際立って見えた。
惜しい、本当に惜しい
心の中でそう叫んだけど、初対面で言えるわけがない。あの日から、靴の重要さを人に伝えるようになった。
逆に、成功していた一人
比較として書いておくと、うまくいっていた男性もいた。
ベージュのセットアップに、黒の薄手ニット。足元は焦げ茶のローファー。鞄は小さめの革のショルダー。
上下が揃っているのに、制服感が一切なかった。理由は、色が柔らかくて、インナーが濃くて、足元に重さがあったから。
その人が席を立って歩いたとき、背中のラインが綺麗に出ていた。生地が体に沿って、余計なシワがない。
どこの、と聞きたくなった。実際は聞けなかったけど。
セットアップは、選ぶ手間を減らす代わりに、着る側の判断を全部一箇所に集める服。
素材が柔らかいか、色が明るいか、インナーで崩せているか。この三つが揃っていれば、上下で着ても休日の顔になる。
クローゼットにセットアップがあるなら、明日は上だけ、別のパンツと合わせてみたらどうかな。案外そっちのほうが、褒められるかもしれないよ。
